言葉は時代とともに変化するのは、歴史的にずっと繰り返されていることですから、
仕方がないのかなとはアタマで納得させようしていますが釈然としないですね。
最近の言葉の単純化というのが、他者を意識しない仲間内だけの言葉になっている
というのが一つの原因かなと思うんです。
教育現場からも、最近の若い世代は他者と論理的に話をするなどのコミュニケーションが
苦手な人が増えていると声も聞こえてきています。
どうやったら自分が意図することが、正確に相手に伝わるかと考えることも
工夫する必要もないから楽なんだということもあるのでしょうが、要は「手抜き」
何でしょうね。
極端な話、夫婦間での会話は両手で数えられるくらいの言葉で足りてしまうということが、
進化なのか退化なのか良くわかりませんが、何でもかんでも同じひとつの言葉で表現するのが、
工夫だとか言語の進化だというのは無理があるように感じます。
この辺りは、多民族国家では、言葉をしっかりと定義し、論理的に話さないと、まったく話が通じないと
いう事情が日本にはないということも一因でもあるのでしょう。
ただ、上的にはホント最近の単純化された言葉遣いはどう受け止めているのでしょうかね。
表現力が128bitから4bitになったら、普通◯◯になったと思うでしょうね。