kisa 超個人的な意見ですが、宇宙船乗り達が揃ってボンクラなのが超腹立たしい。
ボンクラな船長の命令を聞かなければいけない恐怖。
エイリアンより怖かったりして・・・
さて、リドリー・スコット監督を創造主としたこのシリーズ。
その怖さの本質はどこから来るのか・・・
全作未来の宇宙を舞台に人間の潜在意識に訴えかける恐怖を軸にしているのは明白。
そしてここからは私感ですが、その恐怖の根源が
中世から近世にかけての白人の植民地主義、度重なる侵略、有色人種への蛮行に根をなすこと
が、回を追うごとに浮かび上がって見えます。
そもそも1978年第1作を初見した際、エイリアン=異邦人、外国人というタイトルづけ、エイリアンの造形やアンドロイドや有色人種に対する設定に、「もしや監督は」と思った数年後の82年「ブレードランナー」が誕生、レプリカントの悲愁に「やはり」と思い・・・。
そして86年第2作(監督はキャメロン)の資本家による陰謀と船乗りの葛藤に、マゼランの悲劇やMブランドの60年代の実話映画「戦艦バウンティ」を思い出し、1992年Rスコット監督が「1492コロンブス」を撮った時、いよいよその確信を得ました。
いよいよ今回、漂着した惑星の未開の山々の光景と、前作「プロメテウス」に引き続き登場する英映画「アラビアのロレンス」にインスパイアされたシーンに、今までシリーズの恐怖の根源を包んでいたオブラートが溶けたように感じました。イギリス人である監督がアメリカで作品を創造するごとに何かを感じ、歴史の繰り返しに対する警鐘を鳴らしてきたのが真意であることを祈りたいところです。
しかしもっと怖いのは、AIが創造主になることを目論んでいることで、あと2作のシナリオをリドリー監督がどう描いているのかが興味深いです。